ちいろば先生
「罪はじっとしていてわかるものではない。
神様のみことばに従って生きようとするとき、
神の恵みのなかにひたされて気づかせられるのである。」
「神様が最善にしてくださるということを信じることはやさしいが、
信じて行動することのむつかしさを思い知らされた。」
「信仰は告白の連続のようなものである。それはちょうど、点の連続が線であるのと同じである。
神のみことばに迫られて信仰の告白をする。その告白が連続して初めて”信仰生活”となるのである。」
「自分の不信仰さは、本気で信仰に生きようとする時に、はっきりとあらわれてくるものである。
私は不信仰です、などといっている間は、案外自分の不信仰に気づいていないのである。」
榎本保郎 「ちいろば余滴」
「一生懸命聖書を読み、言葉を信じて従っていくことは、不信との闘いである。
信仰するということは不信仰との闘いである。人はみな神を信じられない自分と闘っているのである。
みえないところのものをどうして信じていくことができるだろうか。
だから私は、信仰の深い人ほど、自分が不信仰な者であることを知っていると思うのである。」
榎本保郎 「新約聖書一日一章」
ここのところ、榎本先生と会って話を聞いているような、そんな気持ちで本を読み返しています。
以前、色鉛筆でラインを引いた同じ箇所に再び、今度は黄色のマーカーで印をつけています。