想い出の韓国


もう、かれこれ、30年以上も昔のことですが、
韓国の梨花女子大学のサマースクールに参加したことがあります。
在米韓国人が対象でしたので、共通言語は全て英語でした。

英語が少ししか出来ないのに、よく参加出来たものだと思いますが、
若さゆえなのでしょうか、

それとも、何も知らないゆえの強みでしょうか・・・。
不安を抱えつつも、あの時代の韓国ライフを存分に楽しませて、もらいました。

韓国語の勉強の方はさっぱりだったのですが、
生まれて初めてうけた韓国の民族舞踊のお稽古はとても熱心でした。
ほぼ、一日おきにお稽古場に通っていました。

サマースクールの全ての日程が終わりに近づいた頃、
習ったばかりの韓国舞踊を大勢の皆さんの前でお披露目をしました。

思いのほか好評で色々な人たちから、
このまま、韓国で舞踊を続けるようにと勧められました。

本当にそう、したかったです。
実家の事情が許していれば、きっと、あのまま、
日本には帰っていなかったかもしれません。
もし、そうしていたら、私の人生は大きく変わっていたでしょうね・・・・・。

韓国に行く前に私は、日本でモダンダンスの舞踊団に所属していました。
プロにいくか、いかないか、・・・・微妙なところでしたが・・・・・。

日生劇場虎ノ門ホール、都市センターホールなどの舞台でも踊りました。
舞台の前は毎日のように一日7〜8時間は、ほとんど踊り続けていましたね。

私の先生はダンスの世界ではかなり、有名な方で、
その先生から「鉄は熱いうちにうて・・・という気持ちでいるから」と言われ、
その言葉に舞い上がってしまったのですね。
何かに取り憑かれたように夢中でダンスに没頭しました。

新人公演も夢ではないと思われた矢先、舞台稽古の最中に怪我をし、
その時から思うように踊れなくなってしまいました。
結局、先生からの期待からもはずされたと感じ、
モダンダンスをやめる決心をしたのです。

ひたすら、ダンスばかりの生活から突然、切り離され、どうしようかと思っていた矢先に
韓国に来ないか・・・・と知り合いの大学教授からお誘いがありました。

戒厳令がひかれ、物騒極まりない時代の韓国に躊躇なく行けたのは、
モダンダンスに燃え尽きてしまったからだと思います。

私が物心ついて、一番最初にしたかったお稽古事は、
実は、コリアンの民族舞踊なのです。

私が7〜8才の頃に韓国からリトルエンジェルスという
女の子だけの民族舞踊団が来日したことがあります。
その時、あこがれの気持ちと共に、生まれてはじめて嫉妬のような気持ちが
幼い私の胸を締めつけたことを覚えています。

この年になっても韓国の民族舞踊の衣装を着たお人形さんを見ると、
遠い昔の自分が重なって、なんだか今だに、胸が締めつけられます。