宝物

人格を磨いて心をきれいにする方法というタイトルで
自分の中に眠っている宝物を、書くことで、吐き出してみよう。」とありました。


過去にやりたかったこと、
これから、やりたいと想っていることを頭の中から吐き出して見ると
ひょっとして、自分の中に眠っている宝物が見つかるかもしれないそうです。


さっそく、過去にしたいと思ったこと。
大好きだったこと。
夢中でしたことを書き出してみました。



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幼稚園の頃,お遊戯の時間が大好きでした。
コリアンの民族舞踊を習いたいと思ったのは8歳位の時でした。


クラシックバレーでも良いから舞踊がしたいと父に言ったところ、
踊りというものを一切認めない父にあっけなく、拒否されました。


ようやく、念願の舞踊を習うことが出来たのは、高校時代でした。
入学と同時に洋舞研究部に所属し、念願だったダンス生活をスタートさせました。
高校には舞踊をするために進学したようなものでした。
この頃も父はあいかわらず踊りに対して無理解でいつも反対でした。


高校のとき、貯めたお小遣いでモダンダンス舞踊研究所でレッスンを受けました。
大学時代に一時、寄り道をして舞踊を中断した時期はありましたが、
また、すぐにアルバイトをしながら舞踊団に属し、
25歳まで舞台で脚を怪我するまで夢中で踊りつづけていました。


その頃、ダンス以外にもやりたい夢が一つ、ありました。
ハリウッド映画製作の裏方としてヘアーとメーキャップの仕事がしたいと
結構、真剣に考えていました。


そのために昼は英会話学院に通い、夜は美容学校にいく計画をたてていました。
美容学校に入るまでの期間、英会話の勉強の傍らダンスのレッスンを続けていた時に、
舞踊団の先生からの強い推薦で大きな舞台のメンバーに抜擢され、
それがきっかけで、生活は全てダンス一辺倒の日々となりました。


脚を怪我して、ダンスをあきらめるまで、まるで魔法にかけられたように
舞踊の世界に取り付かれました。


舞踊と映画製作の裏方としての美容の世界。
そして、手段としての英語の勉強。


若き日の夢はシャボン玉のように跡形も無く消え、今、私と何とか結びついているのは、
未だにマスターできていない英語だけです。


書き出して改めてわかったことは、
私の中には何も宝石のようなものは眠っていないということですね。


今、なんとか、つながっている英語。
これだけは、どうにかマスターしないといけませんね・・・・。
あと、母国語である韓国語も・・・・。


ひょっとして、語学が宝石を見つけてくれるかもしれません。