サンフランシスコ在住時のこと
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サンフランシスコ在住時代に子供を通して知り合ったある日本人の方をふと、
思い出すことがあります。
彼女は外資系航空会社のスチュワーデスから
ニューヨークにある有名ホテルのアシスタントマネージャになり、
その後、アメリカ人と国際結婚をし、3人のお子さん達にも恵まれました。
彼女たちはサンフランシスコの富裕層が多く住む町の大邸宅に住んでいました。
白人の御主人との間に生まれたお嬢さん、息子さん達は容姿に恵まれ、
勉強も良くでき、スポーツも万能で申し分ないお子さん達に思われました。
知り合って数年たった頃、彼女はガンを患いました。
それまでは挨拶をする程度のお付き合いだったのですが、
彼女が病気になったことを人づてに聞き、
お見舞いのカードを出したのがきっかけで彼女と私は、色々と話すようになりました。
ある時、middle schoolに通うお嬢さんから叱られたと話してくれたことがあります。
英語をネイティブとして育ったお嬢さんから
母親が先生の名前をネイティブのように発音が出来ないから恥ずかしい。
人前で先生の名前を呼ばないように言われた・・・と少し、
寂しそうに話していました。
優秀なキャリアウーマンとして社会的地位の高い職業に長年就いていた
母親の英語を恥ずかしいと思う、お嬢さんの心の内を知って、
私は何だか複雑な気持ちでした。
彼女とは手芸仲間でもありました。
闘病生活の中で、一生懸命に日本の着物をかたどったパッチワークを製作していました。
日本人としての誇りを少しでもお嬢さんや家族に示したかったのかも、しれません。
その作品を完成させて、しばらくしてから彼女は亡くなりました。
あれから、10年以上の年月が過ぎました。
今頃、お嬢さんは彼女に良く似た赤ちゃんを生んでいるかもしれませんね。
もしも、私が生きている間に彼女のお孫さんに巡り会うことがあったら、
「あなたのおばあちゃまは、とてもきれいで知的な素敵な方だったのよ。」・・・・と
異国の土地で家族の為に懸命に生きていた彼女のことを
少しでも、伝えてあげたいと願っています。