老い
昨日の日本のニュースからです。
奈良県大和郡山市の住宅で、91歳の女性の遺体が見つかり、96歳の夫が殺人の疑いで逮捕されました。
逮捕された夫は、「自分が先に死ねば寝たきりの妻が困るだろうと思い、
一緒に死のうと思った」と容疑を認めています。
96歳の容疑者の夫は自宅で妻の首を絞めた後、
包丁で切りつけるなどして殺害した疑いが持たれています。
自分の首も切りつけていて、寝たきりの妻の介護に疲れて犯行に及んだとみて調べています。
近所の人:「お父さんが(妻に)ごはんを食べさせていた。『1時間くらいかかる』って言っていた」
「自分が先に死ねば妻が寝たきりで困るだろうと思い、
一緒に死のうと思って殺した」と容疑を認めているということです。
以前のブログに
「イエス様は、この世でわたしたち人間が味わう全ての苦悩を味わったと聞いています。
しかし、33歳の若さで亡くなられているイエス様に「老いの哀しさ」がわかるのか、
・・・・という疑問が残ります。」
・・・・・・・・と書いたことがあります。
未だにこの疑問が心から離れません。
「よくよくあなたに言っておく。
あなたが若かったときには、
自分で帯をしめて、行きたいところに行くことができた。
しかし、年をとると
あなたは両手を伸ばし、ほかの者に帯をしめられ、
行きたくない所に連れて行かれるであろう」 ヨハネ21・18
誰も彼もから、見捨てられ、
孤独のうちに罪を犯すよりも
行きたくないところでも、連れて行かれる方が、まだマシなのでは・・・・と思えてくる。
なにがどうして
こうなるのだろう。
夫婦、親子、親戚・・・・・社会との結びつき・・・・・
老いる事の難しさを今日もまた、考えてしまいます。