三浦綾子 きょうだい
誰かが「兄弟とは、指定席に隣り合わせた乗客に似ている」と
書いていたのを、修一は覚えている。
汽車の指定席は、自分の意志とは関係なく、
誰かと隣り合わせになるようになっている。
その席にすわったが最後、どちらかが降りるまでは、
いやでも応でも並んでいなければならない。
それは、自分の意志で選んだ友人とか、恋人とか夫婦などとは、
全く別の関係なのだ。(つまり人格の関係ではない)
都合の悪いことに、兄弟は、数時間で別れることのできる、
列車の指定席の相手とはちがう。
何年も同じ屋根の下に暮らす、
血肉をわけた存在であるということだった。
気に入ろうが入るまいが、生まれながらに兄であり、
弟であるという関係に立たされているのだ。
三浦綾子 著 『裁きの家」
きょうだいは、心のふれ合う友である時代を持たねばならない、と、つくづく思います。
世上にある肉親のみにくい争いを見る時、
自分達だけは大丈夫と言いきれないものを感じます。
欲に目がくらめば、親戚でもきょうだいでも、他人のようなものでしょうからね。
三浦綾子 著 『生命に刻まれし愛のかたみ』
同じ親元で育ってもお互いが相容れない程の
人格、価値観の違いが出てくるのはどうしてでしょう。
その違いは若い頃よりも歳を重ねるほどにはっきりと浮き彫りにされてくるようです。
私の子供達には、お互いが心の友として、
信頼できる兄弟関係を築いて欲しいと心から願います。
今の二人を見ている限り、大丈夫!!!と信じています。