秋夕

突然、胃がねじり込まれるように痛みだし、この数日間、まともに食事が出来ていません。
昨日は、とうとう、体調の崩れから初めてリンゲルなるものを点滴されました。
2時間もかかる点滴でした。

今日も朝から身体がだるく風邪症状もあり、韓国語の教室は休みたかったのですが、
大事なテストの日だったので、行ってきました。

それに明日から、韓国では韓国最大のお祭り日である
旧暦8月15日の中秋節「秋夕(チュソク)」が始まります。
今年は19日で前後3日の公休日に土日がつながるため5連休です。
長い休み前に多くの宿題も出るだろうとおもったのですが、何も出ませんでした。
ホッとです。



「秋夕」は家族、親類が集まり、祖先の墓参りなどをし、実りに感謝し無病息災を祈願するそうです。
祖先に備える捧げもの親戚一同の為のもてなし、それは、それは、・・・
女性たちにとって(特に嫁の立場では、)大変な大仕事です。
「秋夕」の後には毎年、離婚相談急増と言われている程ですから・・・・。
私の祖母や母も大変でしたので、大変さがよくわかります。




ところで、昨日、こんなメールを受けとりました。

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加藤諦三の本によると、フロム ライヒマンという心理学者が、
真面目な子供が、誠実に利己的な親の要求をかなえようとする場合、
それは結局解決不可能になり、心の底に芽生える敵意や憎しみを抑圧しそこなえば、
今度は罪悪感に耐えられなくなり、その両極性が偏頭痛をもたらすそうです。

精神的に解決できなければ、このように肉体にあらわれるようです。
子供が真面目で、誠実であればあるほど、その傾向が強いようです。

”親の心が病んでいる時(極端な利己主義というような意味)、同じく心の病んでいる卑怯なものが助かる。 
親がずるいと、ずるい子供だけが救われる。 
不思議なことに、このずるい親はずるい子供にはいい顔をし、
真面目で誠実な子供に不機嫌になったり、辛くあたる”。




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やればやる程、罪悪感を持たされる・・・って理不尽だと感じていたので、
このメールを読んで、納得する部分が多かったです。



私も加藤さんの本は何冊か読みましたが、
上記の文章には、まだ出会っていませんでした。
あるいは、読んでいて、忘れていたのかもしれません。


私が以前読んだ、加藤諦三 著の「やさしさ」と「冷たさ」の心理”という本をもう一度、
パラパラと読み返してみたところ、似たような事柄が書かれていました。
(私の本の読み方はザルですね。
読んだ箇所の多くを忘れていて、あまり、記憶にありませんでした。)


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・・・・・・・・・・略

このようにして行動を変えようとする時、その人は相手に罪の意識を与えている。
相手が罪の意識を持って、自主的に行動を変えることを求めているのである。

自主的に変えるということは、他人から求められないで変えるということなのであるが、
不快感情によって他人の行動を変えようとする人は、自分がそのように求めていることを認めない。

心の底では、自分が惨めさという不快感情にひたることで、
相手が罪の意識を持つようにしむけているのであり、
それによって行動を変えることを要求しているのである。
ただ、そのことは認めない。

子供が親の期待するように手伝いをしなかったとする。
親は「はあ〜」とため息をついて、辛そうな顔をして失望と惨めさの感情にひたる。

この時、親は子供に罪の意識を持つようにしむけている。
そして、態度を変えることを求めている。
これが「強要」である。しかし、親は決して子供に罪の意識をもって態度を変えることを求めたとは認めない。

・・・・・・・・・略

親がこのようなタイプだと、子供はいつも罪の意識に苦しんでいなければならない。
決して言葉でははっきりと求めない。
いつも不快感情を使って子供の行動を縛ろうとする。
こんな親に育てられると、子供はいつでも、
何かこのままではいけないという気持になってしまう。


子供が自分の思うように動かなかった時、親が悲しそうな顔をする。
親を喜ばすことで、親から自分の存在を確認してもらおうとしている子供は、
その悲しそうな顔におびえる。

・・・・・・・・・略

親が不快感情を使って子供を支配しようとする時には、
子供はたえず親に脅かされている。




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随分、長い抜粋になりました。


親子の関係の色々な問題は、先祖から延々と続いてきているような気もします。
私の父親の幼少の頃がどんなだったのか、と思えば、可哀想な気もします。

私の親子、姉弟の問題を私の子供たちには引き継ぎたくないです。
私の世代で清算する必要があると感じています。

その為には私自身が変わらなければならないのですね。
きっと。



人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。
                                  ―箴言16:9