忍耐


私のごく身近に
大変なことや、面倒なことがあると大きなため息ばかりつき、
自分で処理出来ない不平不満をすぐに周りにぶつける人がいます。

・・・かと思うと、

ヨッシー!”と言って
自分に向かって喝を入れ、黙々とすべきことを成して行く人がいます。

この後者のタイプが私の夫です。
有難い・・・・とつくづく思います。



ところで人間が人間として生きていく時、何がもっとも大切だと考えますか?

ヤコブ書は忍耐だと言っているそうです。

忍耐の『忍』の字を見てみると
心の上に刃があります。

刃はその作る過程において、鋼を何度も叩いて、鍛錬し、
さらに、焼き入れや水にも浸け、
粘り強く鍛えられるそうです。
ですから、「忍」とは粘り強くこらえる心を意味しているのです。

また、忍耐は「耐え忍ぶ」とも言います。
これは「あるものの下に留まる」という言葉らしいです。

逃避せず、踏み留まること。
そしてそこに留まる人は幸いなのだそうです。


なぜなら、
パウロさんが、次のように言っています。

「そればかりではなく,

患難さえも喜んでいます。

それは,患難が忍耐を生み出し,

忍耐が練られた品性を生み出し,

練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。

この希望は失望に終わることがありません。

なぜなら,

私たちに与えられた聖霊によって,

神の愛が私たちの心に注がれているからです。」

(ローマ5:3−5)

神の愛が
わたしたちの心に注がれる・・・・・

素晴らしいですね。



オリンピックで浅田真央さんが私たちにあれだけの感動を与えてくれたのも
彼女の忍耐からのような気がします。

ショートでは、とてつもなく大きな試練の壁に立たされましたが、
翌日、フリーで彼女がテレビに映し出された瞬間、
真央さんの表情から、前日とは全く異なった強さを感じました。

まさしく、あの”ヨッシー”ですね。
いえいえ、もっと、もっと、つよい”意志”を感じさせる表情でした。

やる!!!!!と思いましたね。
そして、やってくれました!!!!!!



彼女の忍耐が練られ、素晴らしい品性となり、
私たちに与えた感動は、まさしく希望でした。

決して、あきらめてはいけないと言うメッセージでした。


一時の金メダルよりももっと価値のあるもの、
生涯、私たちの心に残るものを
神様は真央さんを通して、
彼女自身の凄まじい忍耐を通して、
万人に見せてくれた気がします。

そこに神様の愛が感じられるのです。



”神は全てのことを、神の摂理において定めた通りに、
最もよい時に美しく実現なされるお方である。・・・”と書いた方がいますが、
まさしく、今回のオリンピックでの真央さんを通して、本当にそうだと感じました。


「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」
旧約聖書 伝道者の書 3章11節