占いとキリスト教


占いが大好きで、占い本を読みあさり、命式まで、自分で作成して自分や人の事をよく占ったものです。

てっとり早く、他人の性格も読み取れ、
これが、結構あたるので、占いがなかなか、止められない。

運勢の成り行きもなんとなく、あたっているような気がして、いつの間にか占いに頼ってしまう。


それでも・・・・キリスト教では占いを禁じているので、
一応クリスチャンの端くれの私としては、
それなりに後ろめたさを感じ、占いを断ち切ろうと何度も思うのですが・・・・


たかが占い。
されど占い。
占いに隠された怖いものを知れば、おろそかに出来ない事なのに・・・・。


些細な軽い気持から興味を抱く占いや霊の世界、
邪霊に取り憑かれないようにご用心を・・・・・・。





あるクリスチャンの方がブログに書かれいたことを一部抜粋します。
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「でも今となれば それが本当の神ではなく諸霊から来ているものだとしたら 
諸霊の都合の良いように働き 私たちにとっての最善(神のみぞ知る)ではない。」

「当たるからといって 占い自体が根本的な解決になってい無いのは 私たちの例でわかる。
予言はあたっても 占いが 私たちを助けたのではないからだ。 
諸霊の目的は 自己主張 と縛りだ。そして本当の神から引き離そうとする。」

「占いは 一見 統計学のように見える。
しかし最後で第六感を使う。そこに霊が入り込むのだ。
霊は見えないけれど 自分を主張するために チャンスを狙っている。」

「諸霊が私たちから奪うものは 自由。
諸霊は ふたたび縛ろうとする。それはとても巧妙で 人の弱みをついてくる。 
その占い師にかかわる霊が強いものほど よく当たる。 
占い師は 自分が諸霊に支配されているなんて思ってない。
自分の鋭い第六感と思っている。 そこには強いプライドが 存在する。
 
今TVで出ている人たちも なぜこんな人の裏側がわかるの?と思うことがあり 
すごい人だと思われているが 単にその人にへばりついているものに語らされているだけなのだ。
修行をした とか言うのも 修行は人の魂の入り口を開けるので そこに諸霊が入ってくる。」
 



「世の中には 沢山 不思議な癒しがある。
がんが消えたり 余命数ヶ月といわれて何年も生きていたり・・・
私は山のように キリストの聖霊の癒しを見てきた。
自分も祈り 教会でも祈り 癒しの伝道者の激しい癒しも見てきた。

そして 気功や 占い 整体 行 手かざし キリスト以外の霊能者の癒しも見てきた。 
それらは何なのか ずっと疑問に思っていた。

聖霊を知るそれは この神は 愛であるということ・
聖霊は見返りを要求しない というところ。  

真実の愛は見返りを要求しない、コレが他の諸霊との根本的な違い。

諸霊はエゴがあるから 必ず見返りを要求する。 
占いや 宗教で 高い鑑定料や お布施 つぼを買うなどだとまだいいけれど
一見 この世的名成功を得ても 家族が分裂する 家庭に愛が無くなる 
お金儲けに走る マルチにはまる 何かにはまる。

あげくに 家族が死ぬこともあるというのも 知った。
最大の罪は 諸霊にかかわることによって 本当の神から遠ざかることだと思う。
諸霊の存在の最大の目的は それなのだ。

病の癒しは 科学的医学的なものでもある。
でもそれは まず神に栄光を というところになくてはならない。
どうして 神の癒しが存在するのかというのも 永い間疑問だった。 
初めから病が無ければいいじゃないか?
それに 神の癒しといっても 奇跡的な はっきりわかるものもあれば これで?と思うものもあり 
又 信仰深い人が苦しみながら亡くなっていったこともある。

でも 必ずわかるときが来る。 
その病の中にも 神はおられ何かを語っておられるということを。
つづく・・・・・・」


(癒しはどこからくるかが・・・・)
http://veritas.blog.so-net.ne.jp/2006-07-30

(諸霊は自由を奪う)
http://veritas.blog.so-net.ne.jp/2006-07-31

(占いはなぜあたるか?)
http://veritas.blog.so-net.ne.jp/2006-08-01

(ブログより抜粋)



いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。
(テサロニケの信徒への手紙 5章16-18節)