目が澄んでいれば・・・・・・・
あなたの体のともし火は、
目である。
目が澄んでいれば、
あなたの全身が明るいが、
濁っていれば体も暗い。
(ルカによる福音書11−34)
「目は心の窓」・・・・・・と言いますね。
心の状態が目に映し出されるという事ですね。
でも、聖書には
「目が澄んでいれば、全身が明るくなり、濁っていれば体が暗くなる」
・・・・・・と書かれています、
つまり、目の状態が心に映し出されると逆の表現をしています。
「澄んだ目(瞳)」
辞書で見ると
邪心が感じられない目のこと ・・・・・・と書かれていました。
罪深い人間が邪心の無い澄んだ目でいられる為には
神様に寄りすがるしかないのかもしれません。
パスカルは、「信仰とは神に賭けることである。」・・・と遺訓に残しています。
「信じられる」のではなく、信じる。
受け身なのではなく、能動的だ。・・・・・・・と、
ある牧師さんが礼拝メッセージでお話しされていました。
そして、イエス様はおっしゃいます。
「わたしが道であり、真理であり、命なのです」 ヨハネ14:6
聖書って、深いですね。
ところで、遠藤周作さんが、
「信仰とは99%の疑いと1%の希望」だと著書に書いていたと思いますが、
主人から言わせると、遠藤周作さんのこの言葉が一番、納得でき、また、慰められているようです。