信仰

マルコ福音書11・1−3

エスはふたりの弟子をつかわして言われた、
「向こうの村へ行きなさい。
そこにはいるとすぐ、まだだれも乗ったことのないろばの子が、つないであるのを見るであろう。
それを解いて引いてきなさい。もし、だれかがあなたがたに、なぜそんなことをするのですかと言ったなら、
主がお入り用なのです・・・・・・と言いなさい」。




三浦綾子著『ちいろば先生物語』は淡路島出身の榎本保郎という牧師の生涯を描いたものです。
とても、手ごたえのある本です。

この本を読んだ後、榎本牧師に興味を持ち、自伝『ちいろば』から始まり、
「ちいろば余滴」
「私の出会った人々」
「祈りと瞑想への道」
「ふつか分のパン、ちいろば牧師の告白」・・・と、ほとんどの榎本牧師の著書を一気読みしました。

本牧師が、ご自身を小さいろばの子を短縮して「ちいろば」と当てはめられた理由は、
エス様がエルサレムに入城するに際して、[向こうの村」にいた「子ろば」を連れてこさせ、そのろばに乗られたからです。
(マルコによる福音書11・1―11)

王が入城する時には、威風堂々と馬に乗ってくるものですが、
エス様は、愚かで弱いとされていた「子ろば」に乗られたのです。
本牧師は、このエルサレム入城の物語の、「ちいろば」をご自身に当てはめるようになりました。

ご自身の著書のあとがきに
「このろばの子が『向こうの村』につながれていたように、
私もまたキリスト教には全く無縁の環境に生れ育った者であります。
知性の点でも人柄の上からも、およそふさわしくなかった私であります。


しかし、あの名もないろばの子も、ひとたび『主の用』に召し出されたとき、
その背にイエスさまをお乗せする光栄に浴し、
おまけに群衆の歓呼に迎えられてエルサレムへ入城することができたのです。

私のような者も、キリストの僕とされた日から、身にあまる光栄にひたされ、
不思議に導かれて現在に至りました」と、書いています。

本牧師は、1977年、アシュラム運動のためにアメリカに向かう途中に肝炎が悪化して、
52歳で肝炎のために死去しています。

三浦綾子さん、榎本牧師・・・その他、同じ昭和の時代に生きた、多くの素晴らしいクリスチャンの生涯を想う時、
邂逅という言葉のとおり、魂の出会いが与えられたことに喜びを覚えます。