韓国に嫁いだ日本人女性たちの事

韓国人に嫁いで、韓国に在住する日本人女性たち。
大変だろう・・・・・とつくづくと思います。


韓国人の血をひいている私でさえ、若い頃、
本国で生まれ育った韓国人との結婚はあり得ないと感じていたのだから。


今、この歳になり、
韓国に住んでみて、なお、一層、やはり、あり得ない気持ちになるのだから。


韓国人に嫁いだ日本人のお嫁さんたちの心の痛み、悩みを伝え聞いて
最近、とても、心が痛んだ事がありました。






韓国で生活している
日本女性たちのお一人、お一人が、
日々の生活の中でHappyと感じる瞬間が
一時でも多くあって欲しいと心から願います。





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”あんよ”さん・・・・・・



こんな考え方もありますよ。
とても、とても、つらく、難しいことですが、参考までに。



「置かれた場所で咲きなさい」






初めての土地、思いがけない役職、未経験の事柄の連続、
私はいつの間にか “くれない族” になっていました。


「あいさつをしてくれない」
こんなに苦労しているのに 「ねぎらってくれない」 「わかってくれない」
自信を喪失し、修道院を出ようかとまで思いつめた私に、
一人の宣教師が一つの短い英語の詩を渡してくれました。


その詩の冒頭の一行、それが 「置かれた場所で咲きなさい」 ということばだったのです。


私は変わりました。
そうだ。
置かれた場に不平不満を持ち、
他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては、
私は環境の奴隷でしかない。


人間と生まれたからには、
どんなところに置かれても、
そこで環境の主人となり自分の花を咲かせようと、
決心することができました。


それは 「私が変わる」 ことによってのみ可能でした。


いただいた詩は、
「置かれたところで咲きなさい」 の後に続けて、こう書かれていました。



「咲くということは、仕方がないと諦めることではありません。
それは自分が笑顔で幸せに生き、
周囲の人々も幸せにすることによって、
神が、あなたをここにお植えになったのは間違いでなかったと、証明することなのです」


私はかくて “くれない族” の自分と訣別しました。
私から先に学生にあいさつし、
ほほえみかけ、お礼をいう人になったのです。


そうしたら不思議なことに、
教職員も学生も皆、明るくなり優しくなってくれました。


「置かれたところで咲く」 この生き方は、私だけでなく学生、卒業生たちにも波及しました。






結婚しても、
就職しても、
子育てをしても、
「こんなはずじゃなかった」 と思うことが、次から次に出てきます。


そんな時にも、その状況の中で 「咲く」 努力をしてほしいのです。


どうしても咲けない時もあります。
雨風が強い時、
日照り続きで咲けない日、
そんな時には無理に咲かなくてもいい。


その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。
次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。




「置かれたところ」 は、
つらい立場、
理不尽、
不条理な仕打ち、
憎しみの的である時もあることでしょう。


信じていた人の裏切りも、その一つです。


人によっては、
置かれたところがベッドの上ということもあり、
歳を取って周囲から”役立たず”と思われ、
片隅に追いやられることさえあるかもしれません。
そんな日も咲く心を持ち続けましょう。
 

境遇を選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる。
「現在」 というかけがえのない時間を精一杯生きよう。


『置かれた場所で咲きなさい』

渡辺 和子 著

幻冬舎  

第一章 自分自身に語りかける

     人はどんな場所でも幸せを見つけることができる  より 抜粋