一人暮らしの侘しさ、二人暮らしの煩わしさ


親しい人がいなければ寂しくて仕方がない。
しかし人によっては「親しい人」ができ始めると、
今度はその人といると不機嫌の感情に苦しめられる。

ある八十歳を過ぎた神経症的高齢者の日記である。
次のように書いてあった。
「一人暮らしの侘しさ、二人暮らしの煩わしさ」。
まさに八方塞がりである。


この人も本当の愛情を知らないで年をとってしまったのである。
そして現在も人を信じられない。
だから「一人暮らしの侘しさ、二人暮らしの煩わしさ」と書くようになる。


愛を知っていれば、
一人暮らしは侘しくなく、二人暮らしは幸せである。
だから、先に「『親しい人』ができ始めると」と、カッコをつけたのである。
親しい人とは一緒にいて煩わしくないということである。


「一人暮らしの侘しさ、二人暮らしの煩わしさ」と書いた老人は、
愛や親しさを知らなかったのである。


そして、「一人暮らしの侘しさ、二人暮らしの煩わしさ」という言葉は、
やがて神経症のよく言う「誰も私のことをわかってくれない」という言葉になっていく。

                        「不機嫌」と「甘え」の心理」  加藤諦三 著




*この本の中では、神経症者という言葉は自己実現できていない人というくらいの軽い意味で使われている。
つまり、人を自己実現型の人と神経症型の人に分類している。(はしがきより)



さらにこの著書には、次のようなことも書かれていました。





・・・・・・・略
寂しいといっても、
神経症的な人の寂しさと心理的に健康な人の寂しさは違う。

心理的に健康な人の寂しさは、「あの人」という特定の人が自分を理解してくれないという寂しさである。
神経症的な人は、どれだけの人が自分に注意を向けてくれるかということである。

したがってその要求が満たされない時に寂しいのである。


・・・・・・略


神経症的な人は、愛されなかった過去をしっかりと
自分の中に受け入れる以外にどのような解決の道もない。

人に絡みつき、詰まり、不機嫌になり、
被害者意識に陥り、惨めさを誇示し、注目を求めても道は開けない。

自分の中にある愛情飢餓感をしっかりと認め、
誰をも責めることなく、
自分の宿命として受け入れることである。

そして、自分のできることをこつこつと成し遂げていく以外に、道は開けない。




この本はだいぶ前に読み終えていたのですが、
改めて今、読み返してみると成る程と思う事がかなり、多いのです。

人間の感情というのは複雑ですね。
どうして、あの人があのような言動をするのか、
なぜなのか・・・・と思うことがこの本を読むと少し、理解出来る。

でも、不幸だと嘆く人の近くに居たくないのも事実。
反面教師として自分のプラスに変えて行ければいいのだけど・・・・。




「人生は辛い人には辛く、楽しい人には楽しい」とも著者は書いています。

人生を不幸と受けとるか、感謝をもって幸福と受けとるか、
二つに一つなら、感謝して幸福と受けとれるようになりたい・・・・。